CONCERT.
TR (t88music & RUKA)
~2度の脳卒中体験と作業療法~
この度は機会提供をありがとうございます。
TRの紹介(活動の経緯)、2度の脳卒中体験、作業療法について書かせて頂きます。
YouTube チャンネル名”t88music”(私の名前Taijiのt、88は早川のハヤの略)
その t=Tとパーカッショニスト RUKA君のRをとってTRです。
夜間3,4時間ときに1,2時間おきに母の介護をしながら母のデイサービス利用中に勤務させて頂くなかでRUKA君と出会いました。
音楽好きで絵画にも才能を持つ茶目っ気のある背の高い十代後半の好青年でした。
左手足が不自由ですが私の演奏を聴いてギターを弾きたいといわれRUKA君が右手、私が左手で挑戦しました。
持ち前のリズム感と驚くほどの修得力ですぐに例示した以上の演奏ができるようになりました。
RUKA君の選曲で「僕は生きていく:槇原敬之」などを院内のクリスマス会で演奏しました。https://youtu.be/AshQHevq4Fk
彼の才能を活かすべく「カホン」という箱型の打楽器を紹介しました。
すると、ワン・オクロック、髭男、米津玄師、スピッツ、YOASOBI、クイーンなど洋邦新旧ジャンヌを問わず、どんな曲でも叩いてみせてくれました。
通常、カホンは床に置き、その上に座って両手で叩きますが試行錯誤のすえ姿勢を保ちやすく疲れにくい現在の立位演奏のスタイルになりました。
演奏の幅を拡げるためにタンバリンやウインド・チャイムを加え固定用の自助具と演奏で酷使される右指のサポーターも作りました。
彼は言語理解や表出などに困難さはありますが曲を一度聴けば自らアレンジして演奏中の変化にも対応できる即興性も持っています。
タンバリンやチャイム、コーラスなどのタイミングも抜群で「決め」も外しません。
ですが当初は緊張のため人前での演奏を嫌がっていました。
人前での演奏に慣れるために彼が緊張せずに演奏できる人だけを観客にしてホールやデイケア室を貸し切ってコンサートをしました。
やがて演奏を聴かれた お父様の知人のバンドからオファーがあり大阪や東京で数百人の観客を前に演奏をするまでになりました。
夢みなと公園や加茂川のイベントにTRの出演依頼がありました。
そんな折、母が他界、その1カ月半後の昨年10月に私が脳出血で入院し出演中止となりました。
幸い運動麻痺は無く2週間で退院しましたが当初は左側無視がありました。
錦海リハビリテーション病院の吉田さんと井後先生のお世話で発症後1カ月で自動車運転も可能となり12月に復職しました。
そして今年4月の淀江文化センター 大ホール 「桜奏(ハルカナデ)」の出演も決まっていました。
しかも世界最大規模のソニー世界写真コンテストで2位受賞の廣池昌弘 氏の桜の写真とオリジナル曲「さくら」のコラボで大トリの依頼でした。
ところが12月末、今度は脳塞栓(左手指麻痺)でギターが弾けなくなり大雪のなか人生初の年越し入院となりました。
鳥取大学病院 射場さんの反復促通法(の効果)と、ご持参くださったギター・キットは最高のXmasプレゼントでした。
入院中は、麻痺とその回復過程、自身の練習法の検証など極めて貴重な経験ができました。
その中で自主練習の際に強く実感したのは、目視で麻痺側を動かそうとすると過緊張を誘発し動作の困難さが増すということでした。
そこで視覚と実運動の乖離によるストレスや視覚による(過剰)刺激を抑制するために閉眼での練習を試みました。
すると目論見どおり過緊張が抑制され開眼時よりも楽くに速く動かすことができました。
閉眼で動きの改善を感じた直後に開眼して動作を確認すると困難だった動作が容易になっていました。
閉眼練習は両手掌を向かい合わせ両指尖を軽く触れ、呼気を長めに意識してウトウトするくらいのリラックス状態でおこないました。
両指の屈伸などの対称動作をイメージ優先で麻痺側が無理なく非麻痺側に追従できる速さや範囲としました。
各指単独の屈伸や指尖の着け離しといった分離動作も段階的に練習しました。
修得した動作の定着には記憶法で用いられる仮眠を意識的にとることも有効と感じました。
練習では想像以上に精神疲労が激しく疲労回復のためにも疲れたら即座に仮眠をとるくらいの方が良いようでした。
デイルームでのギター演奏という理想的な療養環境も与えられ存分に自身の作業療法ができました。
耐久性の低下はあったものの発症1週間で何とかギター演奏ができるようになりました。
コロナ禍で面会禁止の病棟で演奏を喜んでくださる患者さまや職員の方々との心温まる交流も励みになりました。
3週間で完全緩解し自宅退院となりました。
ですが、塞栓の原因が先天性心疾患(卵円孔開存)で再発予防には岡大で手術が必要でした。
コロナ禍で日程調整が難しく手術と「桜奏」が重なる可能性もありました。
また、出血の既往にも関わらず塞栓予防でワーファリンの服用もあり脳出血再発リスクも抱えていました。
そのような状況のなか術前の絶妙なタイミングで「桜奏」出演が叶いました。→https://youtu.be/ilJuTEu1DQM
迎えた当日、RUKA君のお母様はタンバリンの自助具を「初めて見た瞬間に感激で涙が出た」といわれました。
舞台袖で演奏を見守りながら涙される様子にスタッフさんも感涙されたそうです。
お祖母さまも演奏中も後も涙が止まらなかったとお聞きしました。
そうした想いとともに幾多の試練を乗り越えRUKA君と辿りつくことができたステージは、この上なく有難く幸せなものでした。
終了後のアンケートでも多くの反響をいただきました。
演奏曲「YORI SOI STANCE (寄り添いスタンス=姿勢)」は障がい福祉サービス事業所「SOI STANCE」さんとRUKA君、周囲の皆さんをイメージした曲です。
RUKA君が演奏を始めてから彼もご家族も明るくなられ、彼の色々な能力も伸びていると皆さんが口にされています。
「YORI SOI STANCE」はそうしたことを歌っています!
RUKA君との演奏をとおして音楽という作業(療法)の力、楽しさ、素晴らしさ、拡がりをより強く感じさせてもらっています。
今後もRUKA君の音楽と絵画の才能を活かせる活動を支援して行きたいと思っています。
優れて理解のある作業療法士の皆さん
RUKA君との活動に、ご支援ご協力よろしくお願い致します。
RUKA君、RUKA君との出会い ご支援ご指導ご心配くださった錦海リハビリテーション病院の北山様、吉田様、スタッフの皆様、 SOI STANCE 鎌田様、小山様、石田様、RUKA君のご両親、ご祖父母様、鳥取大学病院の桑本先生、田尻先生、小倉先生、射場様、スタッフの皆様、山陰労災病院、福祉用具住環境勉強会の皆様、「桜奏」にお越しの皆様、学会実行委員の皆様、ご尽力いただきました全ての皆様に深謝いたします。
感謝を込めて演奏させて頂きます。